【コラム】お寺が「公園化」している

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【コラム】お寺が「公園化」している

【コラム】お寺が「公園化」している
梅雨があけ、とっても暑い今日この頃。鎌倉は円覚寺に行ってきました。
暑さなんて関係なく、修行道場では雲水さんたちが坐禅・参禅に励んでいます。
提唱(老師による語録などの勉強会)のあとに先輩とお話したのですが…
京都のお坊さんがこのようなことを言っていたそうです。

お寺が「公園化」している。

その本意は分かりませんが、思ったことがありました。ニーズとウォンツのことです。

十数年前お寺は風景にすぎなかった、と言った人がいました。仏教界の人々はこの言葉により非難されることがままあります。そして、お寺を開かなければならない。大変なことだと、反省せねばと仏教界は声を上げました。

しかし僕は、お寺は風景でいいのだと思いました。
なぜお寺に人が来るのか、以前は不思議で仕方ありませんでした。坐禅になんの魅力があるのか?なぜ法事をするのか?墓参りをするのか?
その答えのひとつが風景でした。

写真を見て、本を読んで、頭に思い浮かべて、行ってみたいと思う。そして、惹かれた人が実際に行って見て応えられる。それが風景なのだと。
惹かれる人には応えるのが風景としてのお寺なのだろう、と思うのです。
惹かれない人には、ただの街角にすぎない。
冒頭の彼は、行っても応えてくれないお寺に失望したのかもしれません。

では、求めに応えればいいのか?
公園化・貸し会場化したお寺は、必要不必要の道理に振り回されているのかもしれません。
魅力がないから惹かれない。惹かれないものは要らない、という論理。
ウォンツに振り回されているなら、止めた方がいいのでしょう。公園化についての言葉を戒めととれば、ニーズの追求をしっかりすること。

ただし、お寺を開いてみなければ分からないこともある。と、不二の会を始めて見たわけですが…。
ひとりで出来ることは本当に限られる、坐禅会にて身に沁みて分かります。

ニーズとウォンツ。茶礼のとき、みなさんに聞いてみたいと思います。
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※7月のごほうび坐禅会※
7月23日(火)19:30~

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