仏教のはじまりは、今から2500年も昔のことだと言われています。
2500年前、仏教のはじまりをつくった人、お釈迦様という人がインドにてお生まれになりました。その同じ時代に中国では孔子という人が活躍していました。
儒学の始祖であると言われる孔子と、その弟子たちとの問答が『論語』として現代でも有名です。
その『論語』のなかで彼の人生観をあらわす一節があります。
それは
「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」
という言葉です。
主宰向井は来年三十になりますが、“三十にして立つ”こととは?と考えています。
青二才ながら、多くの方々とご縁を頂いて参りました。檀信徒の方々、向源や不二の会、和尚さんや学友など友人たち。
皆さんとお付き合いをさせていただくなかで思うのは、「のこす・のこることの大きさ」です。
お寺の歴史、伝統文化の略歴、本人がなぜその道を歩んでいるのか、その想い・歩む姿の背中は、足もとは。と、今2015年現在に「のこす・のこることの大きさ」に、ほんの少しですが気づくことができました。
ひるがえって自分はどうなのだろうか。
道とは、歩んだ場所がそのまま道として「のこす・のこること」ができるものです。
十五にして学に志し、素養に努めていた人間にだけあらわれる道。
歩むことによって地盤をかためつつ、道を新たに切りひらく。じっとしているだけでは立てないのかもしれません。歩むことが、立つためには強いられるのかと。
仏教、仏の教えを基本として生きていく。その感性や空気感を含んだ言葉として『仏道』があります。この仏の道を、みなさんといっしょに考えていきたい。そのために。
「のこす・のこることの大きさ」を深く見つめたいと思っています。
2015年もよろしくお願い致します。合掌
不二の会主催 向井真人