コラム「賓主歴然・賓主互換」
キリスト教・ユダヤ教には聖書、イスラームにはコーラン。仏教には八万四千の法門といって、多くの参考図書があります。
仏教の、臨済宗において有名なもののひとつが、臨済録です。その臨済録にこのような言葉が書かれています。
『賓主歴然(ひんじゅれきねん)』。
賓は来賓の賓、お客のこと。主は主人の主です。直訳すれば、お客さんはお客さんであり、主人は主人である。その有り様は歴然としている。それぞれの役割がある。
さらに言うとしたら、お客さんと主人の間には、明確な隔たりがある。お客さんの領域、主人の領域があるということです。それぞれの違いが歴然としているのだと。
『賓主互換(ひんじゅごかん)』
互換とは、互いに取りかえること、取りかえ可能なことです。それを踏まえ、直訳すれば、お客さんと主人は取り替え可能である。さらに言うとしたら、お客さんは主人にもなりうるし、主人はお客さんにもなりうるのだと。
お店で買い物をするとき、私たちはお客さんになります。しかし、仕事で販売業をしている時は主人側となる。道理ですね。
賓主歴然・賓主互換という言葉は、お茶の世界ではよく使われるようです。主人は主人として客をもてなし、客は客として主人にもてなされることで、茶事は完成されるからです。また、主人は客の気持ちが分からなければ、もてなすこともできない。客は主人の気持ちが分からなければ、客としてどのような振る舞いをするか判断が付かないでしょう。
茶会にはそれぞれ季節感などのテーマがあると聞きますし、それ相応の主人・客としての基本をおさえておく。それぞれの領域が歴然としていることを分かっており(賓主歴然)、かつ客として主人をもてなし、主人として客をもてなす役割の両有性(賓主互換)のもと、一期一会は極まると。
レジカウンターをはさんで主人・お客さんの区別はあるものの、その境界を取りはらってしまえば、なんのことはありません。
地球、日本、この町、この家、ようがくじ、多くの集団に私たちは属しています。属してはいますが、なんのことはありません。
みな同じです。
区別は大切ですが、その区別にとらわれてしまうことは、私たちのしたいことではないようです。
それぞれの役割・領域を見定め、境界におごらず、まわりを見下さず卑下もせず、その場その場に徹していく。
私たちが与え、与えられた役割は何でしょうか。
向源もおわり、みんな通常運転に戻ります。
寺社フェス「向源」も、なんてこともありません。ただの休日でした。
そのただの休日を、お祭りにしてくれた皆さん、本当にありがとうございます。ボランティア参加の方、来場者、増上寺、お坊さん。みなさんのおかげです。お疲れ様でした!
ようがくじ不二の会も、通常運転に戻りまーす。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※ゆったり寺ヨガと、小説法(第2・4金曜日 開催)※
5/8(金)19:30~20:30
http://www.facebook.com/events/816520935099285/
5/22(金)19:30~20:30
http://www.facebook.com/events/823288154387490/
※ZEN AWAKENING 2: ????※
6/27(Sat)15:30~17:00 – This workshop is held in ENGLISH!!
※みんな初心者。SOTO茶会※
※ごほうび坐禅会※ ※お寺ゲーム部※
6月の予定は未定。