コラム「和ろうそくのWS@陽岳寺によせて。」
Hazeの方々・寺子屋ブッダのご協力を得て、まちのお寺の学校陽岳寺校として、和ろうそくのWS『作って楽しむ和ろうそく~櫨(ハゼ)から作る和ろうそく~』が開催されました。多くの方に参加していただきました。ご来山ありがとうございました。
そこで、感想のようなものを寄稿しました。
すこし長いかもしれませんが、どうぞお読みくださいませ。
陽岳寺副住職 向井です。
Hazeのみなさんのご協力を得て、「まちのお寺の学校
多くの方に参加していただきました。
ご来山ありがとうございました。
仏教では「たとえ話」をよくします。
たとえば、煩悩は草にたとえられます。
煩悩とは妄想や雑念のこと。
「お腹すいたな」「眠いな」といった妄想や雑念は、勝手
抜いても抜いても生えてくる草は、まるで煩悩です。
かといって抜きすぎて何もない更地は人間らしくありませ
仏教のはじまりは2000年以上昔ですが、当時ろうそく
しかし、明かりはありました。 この明かりや火を、仏教そのもの・仏の教えとしてたとえ
真っ暗闇にいると動けなくなったり不安になったりします
仏教そのもの・仏の教えも、転ばぬ先の杖というと変かも
・・・そうは言っても「これで見えるでしょう?」と明か
また、明かりに慣れてしまったり頼りすぎたりすることも
では、どうすればいいのでしょうか?
その答えは、自分で明かりをつくれるようになるか、明か
仏の教えに頼るだけではなくて、自身が仏の教えを伝えら
ろうそくは、まわりの空気や自分の身を削りながらでなけ
私たちは一人では生きていけません。ろうそくが空気や蝋
その火や明かりは、儚さに裏打ちされたものです。この儚
誰かのため、近しい人のため、自分のため。
少し先やまわりや照らすことを考えてみたい。
火をともして、ちょっとだけ考えてみてはいかがでしょう
どうぞご自分と対話する時間を大切になさってください。
気付きをどう活かすか、どう捉えるかはあなた次第です。
今回の集まりに感謝をいたします。
有り難うございました。
合掌