みなさん、こんにちは。ようがくじ「不二の会」代表の向井です。
前回(お寺ボードゲームができるまで その1(宗教とゲームを扱う姿勢、と歴史) )の続きです。ゲーム化における利点や、仏教のどの範囲をゲーム化できるだろうか・・・と考えたお話し。その2・3のふたつに分けるべきかと思いましたが、一緒にしてしまいました。あいかわらず長いですが、前半と後半で内容が違いますので、見たい方だけ見れば大丈夫です!申し上げたいところを太字にしました。
範囲の決定:ゲームをつくる・遊ぶ上での納得感
ゲームをつくるとき、どのようなことが考えられ、行われるでしょうか。・・・好きなあのゲームの、あそこを変えたものにしよう。形はそのままに、モチーフを違うものにしようかな。ルールから決めるか・・・よしッ、競りだッ、競りこそ我が人生ッ。・・・など様々だと聞きます。
こうして作っていく過程で、順番はどうあれ、ルールとモチーフ(ストーリー)のバランスはどこかで取った方が面白いものが出来上がるでしょう。遊ぶ上でも、ゲームを作る上でも、ストーリーやモチーフは助けになることがあります。それはなぜかというと、現実の動作をゲームにうまく落とし込めた場合、「たしかに現実でもそうだもんね」という納得感が生まれ、ゲームへの導入・プレイの強化になるからです(たとえば、ただ単にカードを出すのではなく、「お金カードを支払う」のでカードを出す、収入を得たので「お金カードを1枚引く」、強盗をしたので「他のプレイヤーからお金カードを1枚とる」など)。
もちろんストーリーやモチーフなんて無視・・・もありですが(UNOとか?)、ゲームアイデアの下地の利用にぴったりだと思います。しかし、アイデアはふくらむもの(あれも入れよう、これも入れようとカード・ボードが増えていく、ルールがカオスになって理解不能、競りとリプレイスメントとスゴロクと・・・内容入れすぎ)。ふくらませたものを削っていくとか、どこかで制限しなければ完成できませんし、遊んでもらうことはできません。範囲の決定は、遊ぶためにも、作るためにも大事なことなのです。
仏教ゲーム(仏教をモチーフにしたボードゲーム)を作りたい。しかし仏教という思想や、仏教の扱う概念は多く、ひとつひとつが広大すぎます。仏教とは、この地球、宇宙や世界の見方のひとつ。わたしたちが生きている道なわけです。仏教は2500年も昔インドにて生まれ地球上に広がっていますが・・仏教ゲームを作る上で、漠然としすぎて考えられないので、まず地域を限定することにしましょう、日本の伝統仏教としましょうか。したとして、日本の伝統仏教にはたくさんの宗派があるけれども、わたしの宗派だけにしようか?・・・それも一つかも知れません。浄土双六を復刻しようか・・・でも、一般ウケはしないだろうし。うーん、限定できない。
・・・などなど悶々とした末、扱う範囲を「お寺の文化」にしたらどうだろうかと考えました。文化というとおおげさですが、「慣習的行為、人間の日常的行為に近い儀式」ならば、線引きもイージーで、表現もしやすいでしょう。さらに、現実のおはなしをルールやストーリーに沿わせることができれば「現実でもそうだもんね」と納得してくれる&ゲーム上でのプレイを現実のおはなしとして試してくれるかもしれませんから。
本当は宗派ごとのものを作りたいなとも思ったのですが・・・断念しました。なぜなら、多くの一般の方々にとって、仏教のなかの枝分かれ~宗派~について、しっかりと認識されていらっしゃる方は少ないように思います。日本人は日本仏教について社会や日本史の授業にて習うかもしれませんが、日常的には「仏教」という大きなくくりのなかで、お寺・お坊さんや葬儀などを見ていらっしゃるのではないかと。そう考えまして、特定の宗派にはこだわらない形を模索することといたしました。それゆえのお寺ゲーム、とも言えます。
だからこそ、宗派のものを・・・というのも理解できますが、とりあえずは・・・です。宗派によって、仏さま・聖なるもの・霊性・法性についての扱い方が違うところも日本の伝統仏教の良さだと思っているので、宗派ごとのものもいつかは作りたいと思います。仏教の思想は広大とお話ししましたが、お経もそのひとつ。お経の世界観をゲームや違う形に落とし込む時、極端に矮小化してしまうかもしれません。それは避けたいところですし、まだ私の力不足で出来ないなと思いました。そんなわけで、「お寺の文化・慣習」をモチーフ・ストーリー・テーマに。仏教ゲームではなく、お寺ゲームを作ることとしました。
ゲーム化する利点:3つの理由×2
その1で、私がなぜゲームをつくることになったのか・・・というお話しをいたしました。つぎはゲームを見せ方として“仏教とのかけ算”に利用できる理由、ゲームでなければ出来ないことをお話します。
さて、「現実でもそうだもんね」「現実のおはなしをルールやストーリーに沿わせることができれば・・・」などと、現実とゲームのリンクのお話しが出ましたが、現実問題をゲームで解決できないか・・・と考える人は多いものです。みなさんは『シリアスゲーム』という言葉をご存じでしょうか?
シリアスゲームとは、エンターテインメント性のみを目的とせず、教育・医療用途(学習要素、体験、関心度醸成・喚起など)といった社会問題の解決を主目的とするコンピュータゲーム(エレメカも含まれる)のジャンルである。(Wikipediaシリアスゲームより)。
ゲームによる課題解決というところで、お寺ボードゲームもまさにそれなのかもしれません。
そのシリアスゲームつながりの勉強会で教えていただいたのことがあります。それが、以下3つの「ゲーム化する利点」でした。
高橋取締役談ゲームであるための理由1:たとえば重要性認知といった、ある目的”だけ”について要因を絞りたいときに有効である。絞ることで、他の要因を排除できるし、特化することもできるのだろう。 #SG_8th
— ようがくじ「不二の会(ぷにの会)」 (@puninokai) 2015, 2月 20
高橋取締役談ゲームである理由2:反復できる。リアルにやったら困る状況にならないことにも通ずるが、反復できることだろう。教育・ビジネスへのゲーム導入という実地の観点でも、反復による効果はある様子。 #SG_8th
— ようがくじ「不二の会(ぷにの会)」 (@puninokai) 2015, 2月 20
高橋取締役談ゲームである理由3:良いゲームである要因”また遊びたくなる”を踏まえて言えば、ゲームは勝ち負けがあるので、次までに自主練習・自主学習を自然と促すことができる点。興味喚起といった点でも理由として近い。 #SG_8th
— ようがくじ「不二の会(ぷにの会)」 (@puninokai) 2015, 2月 20
これらの理由を教えてくださったのは、会社の研修で使うゲームを開発してらっしゃる方でした。ビジネスとして意識していらっしゃることを整然と説明してくださったことを覚えています。たしかに、上記の3つの理由はビジネス相手に「なぜゲームを研修に導入するか・できるか、ゲームの良さとはなにか」を説明できているように思います。
このように問題解決のための手段の一つとしてゲームを利用するには、メリットや理由が必要です。問題解決のツールが、なぜゲームでなければいけないのか?会社の研修にゲームを利用することがありますが、それはなぜか?を説明できなければ、「会社の研修にゲームを導入するなんてケシカラン!」と一蹴されてしまうでしょう。
ゲームでしかできないこと・利点はいろいろとあるとして、お寺ゲームをつくるうえでわたしもその理由を考えました。お坊さんとして不思議に思っていることや、もどかしく思っていることをゲームでならばなんとかしてくれるのでは・・・という淡い期待からの以下3つです。(参考図書:シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム 藤本 徹)
- ゲームだからこそ、( 1~3 )で、内容を覚える/学ぶ/知る/自身のものとすることができる
- 概念的なこと/実現不可能なことを形にできる
- 短時間、いつでも・どこでも
- 抵抗感を減らすことができる
1.概念的なこと/実現不可能なことを形にできる
私たちの日頃の行いとは、全般的に「概念的なものを形にすること」と言ってもよいかもしれません。
たとえば、好きだという気持ちを伝えるために、言葉を発したり、容姿をととのえたり、手紙を書いたり。
気持ちではなく、概念ではどうでしょうか。徳川15代の歴史、地球上の大陸移動、月までの距離の計算方法、仕事の進め方、ビジネスマナー・・・以上のものは、学校の授業、ワークショップ、会社の研修などで私たちが学ぶことのできるものです。
学ぶためには、250年前後の江戸時代を、1時間の授業や1枚のプリントという形にまとめる必要があります。江戸時代について学ぶとき、実際に250年を経験するわけにはいきません。江戸時代の歴史を知ろうと思ったときに、わたしたちが平成の世にて旗本や城下町の民になることもできないでしょうし、タイムスリップすることもできません。
好きだという気持ちを表すことは電話でもできますが、プリントや授業だからこそ俯瞰してながめる形ができるのです。しかも、江戸時代は江戸時代でも、3代家光のときだけ・田沼意次についてだけ・東海道の宿場についてだけ・村民の意識についてだけ、など再現する範囲を限定することができます。
その上で、ゲームであれば、俯瞰する視点だけでなく、だれかの視点となり追体験をすることができます。ロールプレイや演劇にもない、舞台表現もできるでしょう。
2.短時間、いつでも・どこでも
反復ということにもつながりますが、一定の時間(短時間)を設定することがゲームならばできるでしょう。とくにボードゲームでは箱に推定プレイ時間がかかれています。また、“また遊びたくなる”にも通じることですが、また遊びたいという気持ちを強化する仕組みとして、サクサク終わることは大事なポイントのひとつです(自分が頑張っただけ、リターンがある等も)。
ソーシャルゲームバブルもひさしいですが、短時間でサクサクできるゲームが人気のようです。上記に記した「概念的なこと」を、短時間で、いつでも、どこでも、くりかえしできるのはゲームだからこそ。この利点を活かせば、反復することで、学びたいものを自分のものとしやすいかもしれません。
防災カードゲーム シャッフルというゲームがあります。これは、
3.抵抗感を減らすことができる
会社の研修にゲームを導入することのメリットとして、何度も繰り返すことで研修の効率・効果を上げることが言えるわけですが・・・。それと同時に、遊びであることによる心のハードルを下げる・受け入れやすくする、というものがあります(ただし「どうせ遊びではないか」と、期待値を下げてしまうデメリットも同時に存在していますが)。
遊びによる、親しみやすさ・分かりやすさ。
さてさて、ただいまゲーミフィジャパン様に製作協力をいただき、頑張っております。
お寺とアナログゲームが出会うとどうなるのか?ぜひ手にとって、遊んで、知ってください。
そして、お寺、仏さま、お坊さんや仏教そのものを身近に感じていただければと思っております。
出展情報・ゲーム情報など随時更新してまいります。さて、そんなこんなで屁理屈か言い訳もできたことですし、