コラム「照顧脚下(しょうこきゃっか)」

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コラム「照顧脚下(しょうこきゃっか)」
コラム「照顧脚下(しょうこきゃっか)」
もういくつ寝ると、2014年。年明けです。
年末、会社や地域の忘年会に参加される方もいらっしゃるかと思います。
忘年会には、家族や仲間と、この一年の労をねぎらったり。仕事納めの納会的な意味合いがあるようです。無礼講といって、羽目を外しすぎてしまうことも。

禅宗の寺院には、玄関にこういった文字が書いてあることが多いです。
『照顧脚下(しょうこきゃっか)』
『看脚下(かんきゃっか)』
陽岳寺の本堂にも、この言葉の書いてある板が置いてあります。この言葉には、ひとつの逸話があります。

とある老師と弟子たちが、夜道を歩いていました。
灯していた明かりが風によって消えてしまい、どうしたことか。老師は弟子達に「さぁ、どうする!」と詰め寄ります。生活のなかで、ちゃんと修行が出来ているかを師匠は弟子に確かめるのです。
一人、また一人と答えますが、老師は認めてくれません。この暗闇に満ちた世界をどうやって歩んでいくか。
そして最後の一人。彼はただ「看脚下」と言ったのでした。暗いのだから、足下をちゃんと見て歩いていけばいいではないか、と。老師は、その答えに頷いたのでした。
後に、この弟子 圜悟克勤禅師は、『碧巌録』という書物の第一則に、
「知らず、脚跟下に大光明を放つことを」
と著わしました。

この逸話。なにを当たり前なことを、と思うでしょう。
頼りになる明かりが消えてしまったのなら、つまずかない様に気をつければいいだけじゃないかと。

お天道様のもとでなら、そう思うことができるかもしれません。
人間は暗闇を恐れます。知らない、分からないという闇。
お先真っ暗とはよく言ったものです。
2011年3月におきた震災、原発や日本の行方。また、明日から来なくていいよと言われたり。悲しみにあふれ、一体これからどうすればよいのかと途方にくれたり。立ちすくんでしまうこと、身動きがとれなくなってしまうこと。多々あるはずです。
そんな時。今・ここですべきことは何か?立ち止まって考えるべきことは、つまずかないように気をつけて行くということです。今しかないことです。
『照顧脚下』、足下を照らし顧みる。
この足下とは、今(という時間に)、ここ(という空間に)、(立っている)わたしです。 そこから、今・この場所までの歩んできた道のりをも指します。そして、これからの道についても。
足下だけを指さないのです。足下ばかり見ていてはダメで、過去・現在・未来、世界全体を指すわけですが・・。

即今只今、足下を見よ!と。禅宗は、日常の中で真理を具体的に見ていきます。

年忘れ・忘年会。忘れることで人間は生きていくことが出来ます。忘れることは力にもなり、忘れないことの大切さも力となります。
しかし、「日常・非日常」となり、大事なことを忘れてしまうことだってあるはずです。
今年一年を振りかえり、したこと・したかったこと。ちょっと待てよ、と・・立ち止まる。そうして、心にゆとりが出来たり。反省したり。ちょっとスッキリできたならば。自分自身の姿もよく見えてくるかもしれません。

来年もよい年でありますよう、祈念申し上げます。合掌

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※ごほうび坐禅会※
1月15日(水)19:30~
http://www.facebook.com/events/580552922000680/
※ごほうびYOGA※
1月19日(日)15:30~
http://www.facebook.com/events/442395559198227/
※ゆったり寺ヨガ※
1/11(土)17:00~18:00
http://www.facebook.com/events/558255507582253/
1/25(土)17:00~18:00

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